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こちらのページは特集(Special Issues)の一つです。専門用語頻出による読み辛さにご注意下さい。

思うことが本当:視覚

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視覚(visual perception)とは、「見ること」で終わりではありません。
短く言うと、網膜で受けた外界からの刺激が脳に伝わり、脳が情報を処理して意味を成す絵にするという作業です。
刺激情報を処理することができないと、戸を開けたらいろんな物が落ちてくる押入れと同じように、どこに何があるという把握がままなりません。オキシトシンの記事で出てきた相貌失認では、人の顔に限ってこの処理が行えず把握ができないため、人の顔を覚えられないということになってきます。
当たり前に見えているものは、脳がちゃんとお仕事をしてくれているからというありがたいことなのです。
この脳の仕事熱心さを巧みに操って、見えるものを見えなくする、あるいは見えないものを見せるということが可能です。これがいわゆる錯視のからくりです。

Figure 1
Figure 1は白と黒のコントラストですが、何が見えますでしょうか?
白を背景にした方には、二人の人間が向かい合った横顔のシルエットが見えます。逆に黒を背景にした方には、白い壺が見えます。
ということは、誰かと同時にこの絵を見た時、自分と隣の人が同じものを認識したとは限らないということになります。
その違いは、コップに半分の水を「まだ半分はある」と認識するか「半分がない!」と認識するかという、事物の捉え方の違いと同じと考えてよいです。
というのは、情報の処理は自己の有する経験、記憶、癖が大きく影響しているからです。
瞬時にこれらを働かせ、脳は見ているものを私たち個人に把握させます。

Figure 2
Figure 2では中心にある円を視覚で比較してください。
小さな円に囲まれた円は、右側の中心の円より大きく見えたりします。しかし、実際には全く同じ大きさの円です。
周りにあるものに影響を受けて円の大きさが頭の中で変えられてしまうという効果を説明するときによく使われる例です。
このことから、存在感の強弱の決定はそれ自体が行っている、というよりむしろ自己の認識の中で決定しているということがわかります。

外界を捉える時の特徴は、主に育つ生活する文化によって分けられることができるとされています。アメリカのような個人主義文化下では、人々は目立つアイコン的なものに焦点が行くのですが、日本のような集団主義文化下では、人々は周りのものに注意を向けるなど、それぞれ映る世界を違う見方で把握しようとします。
この内容に関しては社会的認知として詳しい説明が既に上がっているのでそちらをご参照ください。

Figure 3
さてでは、Figure 3はどうでしょうか。四角の大きさも色も全て同じです。
配置は何を連想させますか?
皆同じ、仲良し、というイメージが浮かんだ方もいるかもしれません。しかし上に一つ下に二つという見方をすると、ピラミッド形式というイメージや、権力者としもべというイメージが浮かんだりします。
つい上の例でも分かったように、特定の絵という情報源は自己に伝わり自己既存の記憶経験などのフィルターに掛けられると、解釈を変化させます。

視覚や認識の研究は行動脳科学や認知心理学で行われます。そこで分かる事実は社会心理学へ適応されます。どんな物をどんな人はどんな風に見るのかという研究は特定人口の魅了される・騙される・説得される傾向を数値化し、結果はマーケティングや保安などを始める数多くの分野で利用されれることが可能になります。
また人間関係においての食い違いの根本も、本当は認識の仕方の違いにあったりするのです。メッセージの認識に関わる工程についてはInterpersonal Communicationの記事にて説明していますのでご参照ください。

と、いうことで今回は視覚についての入り口的な部分としてここまでにし、続きは後に広げていくことにします。
1はメンタリズムの心理学
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