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こちらのページは特集(Special Issues)の一つです。専門用語頻出による読み辛さにご注意下さい。

男性同士の愛と性交の歴史

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恋愛感情についてはLove Relationshipのページ、性的観念についてはSexualityのページにおおまかに説明してございますが、脳科学的なことを含める心理学での生物学的見解からの詳しいものはそれぞれの記事をご参照ください。今回ここでは、同性関係における『愛と性交』についてのbehaviorを歴史的記録とともに見ていくことにします。
(性的描写を含みますので、気に障る方は読み進めをお控えください。内容は大学レベルで履修されるものです。年齢による閲覧制限は行いません。)

さて。
つい最近の出来事で言うと、2015年。アメリカ合衆国が同性婚を認めるという、同性愛についての態度が示されました(アメリカで同性婚認められる参照)。愛し合う者同士が誰からのお咎めもなく寄り添い歩ける世界を想像するとき、心が穏やかになりますが、この決断に憤慨している人たちも。価値観が違うのですね。
この価値観は大きく宗教に影響されています。そう、ガチのクリスチャンは生物学的男女でなければカップルとして認めようとしない傾向が強くあります。しかしながら、聖書において不倫は厳しく禁じられた行為とされていても同性愛については全く語られておらず、「キリストの教えとして同性愛を禁じることとする」ということは根拠を有さないというのが事実です。

セックスへのポジティブな態度は、コンドーム会社の調べによるとギリシャが最高です。 そもそも紀元前2000年よりギリシャの民はセックスについてオープンであり、このころ残された神話を含める古書には近親相姦・強姦・動物との性交なども描かれています。
ギリシャ神話では愛とセックスの神はそれぞれ別であり、Erosが愛の神である一方、Aphroditeが性交の女神です。今日私たちが使う「エロい」とはErosから英語になったerotic/eroticismに由来するかと思いますが、本来はAphroditeの方が引き合いに出されるはずだったのはないでしょうか。

Image from Wikimedia
もとい、古代ギリシャの上流階級に限り、師匠が弟子を可愛がるという形で同性性的交渉(pederasty)が行われていました。
哲学者のソクラテスも弟子たちと性的にもつながりを持ち、弟子の間で師匠の愛をめぐって嫉妬を産んでいたとされます。
古代ギリシャ哲学者が『愛』についてを語るのは、男性同士の愛が大前提。ただし性的要素を含まない男性同士の愛が男性と女性という性的異性愛をも超えて、理想の愛であるとされました。これがPlato(プラトン)によって講義され、性的要素を含まない友情=プラトニックラブと呼ばれるようになります。
ちなみに哲学者Michel Foucaultの見解によれば、古代ギリシャではセックスが権力のシンボルであったため、男性的勢力(男性器)は自分より社会的に下層にいる者なら誰にとて振りかざされる(挿入される)ことが可能であり、社会規範だったということです。

Gilbert Herdtによる記述によって明らかにされたことは(1981, 1985)、パプアニューギニアのサンビア(Sambia)族では、男の子は7歳になると思春期を終えた青年の男性器をくわえ精液を飲んで育つことが儀式となっているということです。
食べ物が豊かでないこの地域では、精液は母親の母乳と同様に捉えられており、男子は思春期へと無事に成長すると今度は自分が与える側に回ります。そして18歳に達すると、異性愛者として女性と結婚します。
ここには男子の間に特別な感情が発生していると限らないわけですが、同性性交として学術的には sequential homosexuality(経時的ホモセクシュアリティ)と名付けられています。

日本の場合は江戸時代(1600-1868)にホモセクシュアル文化が花咲き、ゲイクラブ・芸者宿・ゲイ文学が栄えたとされます(Hirayama, 1986)。
WikipediaのHomosexuality in Japan(英語版)では喜多川歌麿やその他画家の美術作品が公開されています。古代ギリシャの作品では男同士そのままの姿が描かれているのに対し、日本のものではどれも衣の上では女と男になっていることが興味深い特徴としてあげられるかと思います。

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参考:Sexuality Now, Janell L. Carroll, 2007

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