
「自己が自己たるは?」という問いは古くから哲学者によって論じられてきました。心とか脳とかを含めて、この問いがどのように考察されていったのかは、Behavioral Neuroscienceページで説明します。
ここでは、自己を浮き彫りにするものを社会心理学での学習になぞって見てみることにします。
鏡に映っているものが自分であると見分ける力(self-recognition)は霊長類の他イルカにもありますが、人間では生後18ヶ月から芽生えます(Lewis & Ramsay, 2004)。その後、私たちは家族を始めとする社会に囲まれ、自己の有する遺伝子と共に経験を通して脳の代謝を活発化させ、心と肉体の成長や変化を遂げながら、個としての在り方を確立していきます。
「自分とは?」という問いの答えになるものは"self-concept:自己概念"と呼ばれ、「自分とは?」と意識することや考えることである"self-awareness:自己認識/自覚"と分けられます。
self-conceptに盛り込まれる様々なことを覗いてみることにしましょう。
「本当の自分とは?」という啓蒙を起こす年齢は、Erik Eriksonによれば通常は13歳から19歳までの間とされます(Identity vs Role Confusion)。但し、Eriksonはドイツ出身のアメリカ育ちでありますから、白人文化に限ったことなのでは?という批判がついてきます。
文化は、個人主義(individualism)と、それ以外の集団主義(collectivism)に分けることができます。個人主義では自己は独立したもの(independent self)と捉え、自立性・独自性などを美徳とする一方、集団主義では自己は他人と相互依存したもの(interdependent self)と捉えるため、協調性・連結性などが尊ばれるため、集団主義文化下では単独の"self"というよりむしろグループの中の役割や団体での経験を基に自己概念を築く傾向にあり、"self-with-parents"、"self-at-work"、"self-with-friends"などのような場面場面の自己が存在します(Cross他, 1992)。
確かに、例えばアメリカ人は家でも学校でも義両親の前でも個人は一人の個人にすぎませんが、日本の場合では友達といるときのような自分で義両親とは接することはできません。つまり、例えば長女に生まれ結婚してパートを勤める女性であれば、親にとっての長女・姉妹にとっての姉・夫にとっての妻・義両親にとっての嫁・我が子にとっての母親・友達にとっての友達・会社にとっての社員・部下にとっての上司などの社会的役割によって異なる自己の一面一面を有しているのです。
更に詳しくは個人/集団主義で説明します。
文化的要素は社会の中の自己の枠組みを作るため、文化間を移動するとアイデンティティークライシスを招きえる混沌が起こることもあります。これについてはカルチャーショックで説明します。
自分の言動に対して、他人が「らしいね」「らしくないよ」「そういうキャラだったの」など、コメントをくれることがありますね。これは、この誰か(他人)の中に自分のイメージが出来上がっているからこそのことです。
自分の姿は他人の目にどう映っているか私たちは意識をしますから、その他人が持つイメージは自分に跳ね返ってきます。他人を鏡とし、そこに映る認識する自分を"looking-glass self"と言います。
もし、他人が「お前は本当に駄目な子だよね」として接すれば、私は駄目な子であることを自己概念に取り込んでしまいます。
私たちは自分を他人と比較することで自己という輪郭を浮かび上がらせ、自己認識を理解しようとします(social comparison theory)。比べる対象を変えると、自分の評価が上がったりも下がったりもします。
例えば、自分の貯金が100万円溜まってニコニコしていたとします。友達との会話でその友達が300万円の貯金があることがわかりました。さっきまで自分の貯金額に満足していたのですが、それを聞いた後ではたいしたことないように感じもっと頑張らねばと感じます(upward social comparison)。
しかし、100万円を溜めたことに自信を感じたい・・・。そこでいつもお金がないと言っている友人に貯金額を聞くと口座に2万円あるのみでした。自己への評価はこの比較(downward social comparison)によって上がり、ニコニコ気分も増加します。
個人主義社会では自己の気持ちを良くするためにdownward social comparisonが、アジアの集団主義社会では自己の向上を目指しupward social comparisonがよく使われるという違いがあります(White & Lehman, 2005)。
別途、自尊心とはで説明いたします。
最後にself-awarenessについてを付け足しておきます。
自己について考えるとき、私たちは自己の理想と実際の行動を比べることをします(self-awareness theory)。これらが一致するのなら、人生をうまく管理できている気分に包まれ自己に対する評価も上がりますが、そうはいかない場合もあります。極度の場合だと、自己認識を避ける、つまり自己と向き合うことを避ける行為が取られがちになります。これは自己逃避で、手段として暴飲・暴食・性的マソキズム(俗に言うSMプレイのマゾになること)などが主です(Baumeister, 1999)。この他、Baumeisterは宗教的活動は自己壊滅的ではなくプラスに働く自己逃避の手段としていますが、どうでしょう・・・自己壊滅どころかテロリズムにつながる危険性がありことも事実ではないかと思います。
この他、self-awarenessの文化的特徴としては、欧米人が自己自身の個人的経験に重きを置いて自己を見る(inside perspective on the self)のに対し、日本を含む東アジア人では自己を外側から見る(outside perspective on the self)とされており、他人が見たらどうかということを常に意識しているとされます(Cohen et al., 2007)。物心付くか付かないかのうちから、「ほら、○○ちゃんはちゃんとできてますよ」という比べて恥を生ませる指導法で育てば、このようになることは自然な結果と思われます。
参考:
Social Psychology, David G. Myers 2008
Social Psychology, Elliot Aronson et al. 2010
The Interpersonal Communication Book, Joseph A. DeVito 2009
Social Psychology, David G. Myers 2008
Social Psychology, Elliot Aronson et al. 2010
The Interpersonal Communication Book, Joseph A. DeVito 2009