こちらのページは特集(Special Issues)の一つです。専門用語頻出による読み辛さにご注意下さい。

殺す心理

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ニュースで人間が人間を殺害するという事件を耳にするとき、血も涙もない人間だと、憤りを覚えます。なぜそのようなことができようかと、私たちの理解の範囲を超えます。なぜ殺害しようと思ったのかということは、犯人本人にしか分かりませんし、犯人ですら分からない場合もあります。が、
社会心理学は、なぜ殺すことがのかということについては解明済みです。

非人道的な行為に社会的圧力、主に特定のグループ・組織団体が関与している場合、私たちが会社で「○○さん、これを来週までに仕上げておいてください」と指示され実行するのと同じように、実行者は役割に沿った仕事を慣行する工程を辿ります。
会社勤めを想像してください。
やりたくないのにやらなければならない任務には心のイガイガ感(認知的不協和)を経験します。
私たちはイガイガを無意識にでも取り払おうとしますので、その役割を与える団体から退くのか、それとも自分の考え方を変えるのかの選択にぶち当たります。
「会社が言うから仕方がない」という考えでイガイガを抑える人がほとんどのはずです。あるいは会社への忠誠心というより、「これに見合うお金を貰えるなら喜んでやる」という動機付けを行うはずです。
人間の判断力は個の中にある個によるものではなく、社会の中にある役割の個として下されるのです。
このことが実証されたのは、心理学者Milgram氏によって行われた実験で、通称ミルグラム実験と呼ばれます。人に電気ショックを与える命令をされた人が、権威に言われた通りどこまで強い電流を与えるか測られたものです。
YouTube動画はこちらから。世界仰天ニュースで紹介されたものです。
人々は電気ショックを与える役割を、時には躊躇しながらも果たしました。

では次に団体からの圧があるないを問わずです。
非人道的な行為には非人格化が伴います。
非人格化(dehumanization)とは、人間の中にある人間性や人格を自己の認識の中から排除してしまうことをいいます。
虫が殺せるのも非人格化という正当化のためです。危機管理・衛生管理という教育を受けると私たちは虫を害虫と呼び、殺さない方が間違っているという世界観を育てます。
虫でも毎日頑張って生きていて家族があって、と捉えると、殺す際に罪悪感が働きます。この罪悪感は危機ないし衛生管理の遂行と矛盾するイガイガを産みますので、『虫けら』と卑下することにより殺されるに値するものとみなし、イガイガを取り払います。
鶏も豚も牛も、肉を頂くために殺して皮をはいで脚や胴体をぶった切る・・・。これを自己が生きるためと思い切れるかどうか。世界中が貧乏な時代では、虫も動物も現代よりは躊躇なく殺して生きる糧としたことでしょう。こういった昔の人間が野蛮に見えるのは、自分が手を汚さなくなった証です。現代の人間はお肉がパッケージ化されて販売されるのを普通に感じ、そこに人格を見ないからこそ心痛むことなく購入できるのです。

これらのことが極度になるのが戦争やテロリズムです。
敵は虫けらと同じです。でなければ、死体の横で「いいね。」の親指を立てるような行為は異常です。
イラク兵の死体の横でthumb upするアメリカ兵の写真を載せておきます(出典:Aronson et al., Social Psychology 11e, P169)。衝撃的な絵柄ですので、閲覧される場合はご自身の責任において表示ボタンを押してください。

極悪非道な殺人犯も漏れなく非人格化や客体化を行って、人を障害物とでも認識し、殺害します。
そしてまた、死刑にする側も犯人を非人格化し闇へ葬ります。非人格化の罪は非人格化の刑に処するということです。
ちなみに日本では死刑は絞首刑となりますが、死刑囚の身体を支える床が落ちるボタンはいくつもあり、複数の係員が同時に押します。どれか一つだけが作動を起こすボタンですが、係員の心的負担の大きさが考慮され、誰が実際に落としたかは分からないシステムになっています(参考:YouTube動画)。法の下には殺人犯を殺すことが正当でも、人間の心の下には恐ろしい程の罪悪感が働くことを明らかにしています。

ということで、以上殺す行為の社会心理学的説明でした。
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