こちらのページは特集(Special Issues)の一つです。専門用語頻出による読み辛さにご注意下さい。

言語習得についての心理学

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心理学では人間の一つの行動を説明するのに、いろんな見方から研究がなされます。例えば、遺伝子や脳活動などの面から理解を試みるのは生物学的見解です。
この他の見解のうち、行動主義(behaviorism)と認知心理学的見解は何かにつけて戦うのですが、彼らの言語習得についての論争は心理学全体の中でも最もホットなものの一つとされます。

言葉を喋るという行動は、人間に生まれつき備わっているのか、それとも学習で初めて可能になるものなのか?

行動心理学は人間の言語習得について、「まず聞き、真似て、喋るという行動を促す強化という工程(reinforcement)が必要!」としており、他の認知的能力と何ら違いなく環境と経験を通して学ばれていく行為なのだとしています。→ Nurture派
この主張を聞いた言語学者のNoam Chomskyは、「『強化』では説明がつかないよ」と異論を唱え、言語習得は人間の特権であり生まれつき備わっているものであるとしました。認知心理学はチョムスキーの見解を取り入れ、言語習得は先天的なものとしています。→ Nature派
両者譲らず。
しかし、進化心理学のGaulin氏並びにMcBurney氏は行動心理学の言語習得への見解に甚だ呆れた態度すら示しており、「むしろNature vs Nurtureということでもはなく、Natureという下地(原材料)がなければNurtureという経験(オーブンで加熱)があっても、パンが仕上がらないのと同じことだ」、と主張しています。

以下は認知心理学の言い分です。
  1. 聞いて真似をするだけでは、言語の複雑な文法を習得することはできない
  2. 真似をして習得したのであれば、言葉の活用を間違って他の言葉に適応(overgeneralization)したりしない
2. の具体的な説明は:
英語を母国語にしていく幼児が人々が言うのを聞いて覚えて繰り返すなら、 'go' が過去の文で使われると 'went' になるようだと覚えて発話していくことが順当だが、'goed' と他の基本活用動詞と同様の形に間違えて言ってしまうことがある。同じようにして 'put' を 'putted' としたり、または 'mice'(mouseの複数形)を 'mouses'としたりする間違いもあり、これらから言葉の表現が真似によって身につけられたのではないことが分かる。
ということです。

赤ん坊が発話をしていく流れでは、世界的に共通している音(破裂音+母音)から順に覚えていくのだそうです。例えば、ma、ta、ba、paなどで、これらは多くの国で「母親」あるいは「父親」の呼び方となります。日本語でも「母」は「はは」と言いますが、日本語の原始では「ぱぱ」と発音されていたとされています。「ばば」は「おばあちゃん」ですし、そう考えると日本国土の男たちが「ちち」「じい」と異形なのは何か意味があるのでしょうかね。まぁそれはまた後にすることにしましょう。

更に面白い事実は、赤ん坊は大人より多くの音素(phonemes)を聞き分けることができるということです。月日を重ねるにつれこの能力は狭まっていきます。
音素とは文字通り音のもとですが、使われる音素の数は言語によって異なります。例えばアメリカ英語の 'map' の a は、日本語母音の「あ」と「え」を同時にしたような音で(辞書での発音は『æ』と表記される)、日本語には持ち合わせません。'th'(無声で『θ』、有声で『ð』)も英語特有であるのはみなさんご存じの通り、後から習うものにとってこんな音は聞き分けられなくて当たり前となります。
生後の外界の刺激を受ける新生児では、電気信号を伝達していく神経細胞の枝が爆発的に増えます。しかしこれらは使われなければ無駄に養分だけ与えることになるので、使わない要らないものは間引きをされるという工程(pruning)が人間の発達段階の一つとして起こります。 『θ』『ð』を使う言語の世界にいなければこれを聞き分ける神経回路は整理整頓されて無くなるわけです。
母国語で使われる音素だけ分かれば順応していけるという態度は生まれたての個人が頭で考えて起こしていることではないでしょうので、あらゆる生き物に共通するサバイバル作戦能力の一つとして、効率の良い聞く話すが可能になっていると考えられるかと思います。
この発達過程を基にすれば、言葉を使わない環境にある程度の年齢まで浸かっていると、それに対する受信機能は整理整頓されて消失するため、後から言葉の教育を受けても発話ができないという、臨界説をサポートする事実になり得るのかもしれません。ただし、これを本当に実験することは倫理に反することであり、過去のケース等を使って経験的な仮説しか立てられないことになります。
ここいらに関する過去の事例はGenieのケースを参考にしてください。

どんな生物も何かしらを使ってコミュニケーションを行っていますが(Interpersonal Communication参照)、"言葉を使う"という不思議が真理探究する者を熱狂させているとでも言うのでしょうか。発話に関する遺伝子も明らかになっていますし、Nature vs Nurture は鎬を削り続け、これから先更なる研究によって細かいことがもっと分かってくるのだと思います。

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参考:
A Guide to Psychobiology, Henry Heffner 2011
Cognition, Margaret W. Matlin 2008
Evolutionary psychology, Steven J.C. Gaulin & Dobakd G, NcBurney 2004

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