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こちらのページは特集(Special Issues)の一つです。専門用語頻出による読み辛さにご注意下さい。

心に従う? - 感情の訳を考える行為

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私たちの感情は、『心』や『腹』の底から勝手にポコポコと湧き上がってきます。
著者がよく口にすることですが、感情には正しいとか間違っているとかいうことはなく、感じてしまうのだから仕方がないのです。 ただ、それを伝えるということになると細心の注意が必要、というだけで。まぁ、そのお話はまた後ほどにしましょう。
私たちは自分の考え・感情・行動の原因を見つけたり説明をつけようとたりしするものなのだそうです(Nisbet & Wilson)。 なぜ自分はそうするのか、納得したいわけなのですね。
イライラしたり、悲しかったりなどの感情が起こるときは特に、その源を探そうとします。問題を除去して嫌な気持ちから開放されたいからです。 恋も、ソワソワだったり不安だったりは時が経てば甘酸っぱい思い出かもしれませんが(楽観回想)、正直辛くて早く楽になりたいと思ったりします。 また、何かに腹を立てて「私(が怒りを感じるのは)、間違ってないよね?」と自分に問いかけたりします。

さて、自己の考えとか感情とかを分析してみたりすることを"introspection:内観"と言いますが、これが全てを丸く納める、つまり自己の思考や感情の訳を説明するのだ、というのは錯覚(introspection illusion)だとされます。(仏教用語としての"内観"ではないです。)
こんな実験がありました(Wilson et al., 1982)。被験者にその日の気分もしくは機嫌と、天候・仕事量・前の日の睡眠の長さを記録してもらいました。5週間続けた後、気分・機嫌がどんなことによって影響され得たか、その要素を評価させたのです。結果から、多くの場合に気分・機嫌とその理由について間違った思い込みがあるということがわかりました。 例えば、機嫌が悪い理由を"睡眠時間が4時間だったから"とするようなもので、睡眠の長さと機嫌は関係がないのです(睡眠周期参照)。

Wilsonは、私たちの思考・感情・行動には言葉にできないものがあるんだよと言います(2002)。そしてそれは、言葉にできるものより(人生長い目で見れば)大切なのだと。
確かに。こんな例があります。
息子は自分の内側から湧き出る、ある学問に対する興味を父親に話しました。父親はそれを聞くと「それはお金になるのか」「どうしてまたそれが好きだと思うのか」「自分に合っているのか」云々、息子に責め立てるように尋ねたのです。息子は感情を素直に表に出しただけでしたが、父親の言葉をその後ぐるぐると考えることになりました。出口が見えず、結局その学問を大学で学ぶことを選べなくなったそうです。
彼はそのことを10年近く経った今でも後悔しています。

彼が経験したような、最初の熱い気持ちから、あれこれ理由や説明を付けようとするうちに熱が冷めるといった態度変化は、"reasons-generated attitude change"と呼ばれます。
カツ丼を食べようと店に入ったのに、日替わりランチは580円でいろいろ付いてなんてウェイトレスに教えられたもんで、値段の良さと付いてくるおかずの種類数を考えてしまい、カツ丼をやめて日替わりランチを選んでしまうなんていうのも例です。何故素直にカツ丼にしなかったかと思うこと、結構あります。
恋愛や結婚のパートナー選びでも同じことが起こるとされます。情熱か条件か、二人同時に比べられる場合、説明が容易な条件の方で選びがちになるのだと(Alonson et al.)。 年齢を重ねてくると、自分の感情に素直に従わない従えないということが起こりがちで、条件の良さばかり重視するようになります。

しかしながら裏を返せば、自分のネガティブな思考や行動に対しintrospectionを行使すれば、冷静になってそれらに支配されることが防げるという良い一面があるわけなのです。これはいわゆる認知的療法(cognitive therapy)の軸となっています。

というお話でした。
参考:Social Psychology, Elliot Aronson et al., 2010

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